父との絆

福澤諭吉の魅力

学問が好きだった父 百助とその妻順(じゅん)との間に5人目の子として、諭吉が生まれた際、諭吉が(家督を継がない)次男だったこともあり、父 百助は「この子(諭吉)が10歳になったら寺に行かせてお坊さんにしよう」といつも母である順に言っていたそうです。当時、僧侶という職業は、身分の隔てなくどんな人でも就くことができただけでなく、修行次第では大僧正になることも可能だったので、諭吉を自らの力と努力で報われる自由な道へ進ませてあげたかったのかも知れません。

父亡き後、母からこの話を聞かされていた諭吉は、大人になってからようやく父の言葉の意味を理解し、父の愛情の深さを思い涙したそうです。わずか1年しか一緒に暮らせませんでしたが、諭吉は父との強い絆を感じていたことでしょう。

 

「門閥制度は親の敵」
如斯なことを思えば、父の生涯、四十五年のその間、封建制度に束縛せられて何事も出来ず、空しく不平を呑んで世を去りたるこそ遺憾なれ。又初生児の行末を謀り、之を坊主にしても名を成さしめんとまでに決心したるその心中の苦しさ、その愛情の深さ、私は毎度この事を思出し、封建の門閥制度を憤ると共に、亡父の心事を察して独り泣くことがあります。私の為めに門閥制度は親の敵で御座る。
出典:福澤諭吉著作集 第12巻 福翁自伝 福澤全集緒言(慶應義塾大学出版会)より

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